2019年06月11日

安田 掛布

千葉ロッテの新入団選手の入団発表が行われた。ドラフト1位入団の安田尚憲は「ずっと自分の目標であった松井秀喜選手のように、ファンを魅了できるホームランバッターになるのが自分の夢。将来的には本塁打王を取りたい。千葉のゴジラと呼ばれたい。」と語った。同時に安田尚憲の背番号は『5』と発表されている。安田尚憲の出身地 大阪(関西)で、右投げ左打ちの三塁手として絶大な人気を誇っていたのが、元Mr.タイガース・掛布雅之だ。しかし、掛布は安田尚憲が生まれる10年前の1989年に引退している。いかに安田尚憲が関西出身であろうと、安田の世代には憧れの選手はすでに掛布雅之でなく、同じ右投げ左打ちの三塁手(高校時代)松井秀喜だというのも致し方ないのかも知れない。安田に目標の選手として名前が上がらなかった掛布雅之だが、掛布雅之と安田尚憲には共通点や、それとは真逆の相違点が存在する。まず掛布雅之と安田尚憲の共通点といえば、両者とも右投げ左打ちのホームランバッターである。掛布はNPBで本塁打王3回、通算349本塁打を記録している。安田は高校通算で65本塁打を記録した。打撃スタイルと守備位置という点では、掛布と安田は一致している。だが先程述べたように、掛布と安田には真逆の相違点がいくつか存在する。高校時代の実績といえば、安田は履正社で甲子園には2度出場し、2年の夏は3回戦で敗退したが、3年の春のセンバツでは準優勝している。掛布の甲子園といえば習志野高校の2年の時、夏の甲子園に出場したが1回戦で敗退している。安田は『東の清宮、西の安田』と称されるほどのスター選手だったが、掛布は、まったくの無名選手だった。その結果、安田はドラフト1位でロッテに指名され、掛布は事実上テスト入団のドラフト6位で阪神に入団することになる。プロのスタートはドラフト1位とテスト入団・・・雲底差の真逆のスタートを切っている。安田は大阪(関西)で生まれ育った安田が、千葉の球団に入団し、千葉で生まれ育った掛布は大阪(関西)の球団に入団した。お互い真逆の軌道をたどることになった。安田尚憲は身長188cm 体重95kgと大柄な恵まれた体格をしているのに対し、掛布雅之は175cm 77kgとプロ野球選手として、ましてやホームランバッターとしては小柄だ。『安田』という名字は、全国ランキング117位で、日本に約158,000人が暮らしている。一般的な名字だ。逆に『掛布』という名字は、全国ランキング9,074位で日本に約860人しかいない珍しい名字だ。 (名字ネット調べ) 2017年に安田尚憲はストライプのユニフォームに袖を通し、逆に掛布雅之は阪神の二軍監督を退任し、縦縞のユニフォームを脱ぎ、「オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)」という役職に着任している。そして、現役時代の掛布雅之は、故障と球団との軋轢もあり32歳の若さで引退している。安田尚憲これからプロ野球選手として歩んで行く。いくつかの事柄で、掛布雅之と真逆な軌跡を歩んでいる安田尚憲には、若くして引退した掛布雅之とは真逆に、息の長い選手として活躍して欲しいと思ってやまない・・・


posted by kurodaikoku
2017/12/06 00:08

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清宮幸太郎の背番号『21』〜

11月24日、北海道日本ハムファイターズは大倉山競技場で新入団選手発表を行ない、清宮幸太郎の背番号『21』がお披露目された。そして「この番号をすごく誇りに思う。」と清宮は語った。清宮幸太郎の背番号は、早実の先輩王貞治と同じ『1』を付けるとか、大谷翔平の『11』を受け継ぐなどと噂されたが、今年引退したセーブ王3度のクローザー武田久投手の『21』を引き継ぐことになった。入団発表以前行われた仮契約の会見で清宮は、「(球団から)『野球人としてだけでなく、社会人として世の中に貢献できるような人間になって欲しい。』と力強い言葉を頂きました。人として皆に目指されるようになりたい。」と誓った。球団が清宮に『世の中に貢献できるような人間』という言葉を贈った時に、清宮の背番号は『21』に決まったのかも知れない。『21』はメジャーリーグのピッツバーグパイレーツの永久欠番となっている。清宮幸太郎が入団会見時、背番号『21』に対し「ロベルト・クレメンテの番号だったり・・・」の言葉のとおり、この番号はプエルトリコ出身の中南米初のメジャーリーガーのロベルト・クレメントの番号だ。クレメントは4度首位打者を獲得し、通算3,000本安打を記録している。ロベルト・クレメンテが3,000本安打を放った1972年のシーズンオフ、12月23日、ニカラグアで大地震が発生した。その日はクレメントの3,000本安打達成を祝うパーティだった。その席上、クレメンテを中心に救援活動が検討された。救援物資を募ったが、ニカラグアの兵士が物資の横流しをしているとの噂が広がった。ラテンアメリカで英雄と言われていたクレメンテは「私がニカラグアへ飛べば盗難は無くなるだろう。このロベルト・クレメンテからモノを盗むことは出来ないはずだ。」と12月31日多くの物資を乗せたチャーター機は、クレメンテと一緒にニカラグアに向かった。しかしチャーター機はカリブ海に墜落。機体の一部は回収されたが、クレメンテの遺体は発見されなかった。38歳の若さだった。この悲劇の後、事前活動に功績のあったメジャーリーガーに贈る『コミッショナー賞』は『ロベルト・クレメンテ賞』と改称された。当時のコミッショナーのボウイ・キューンは改称後の選考を前に「『ロベルト・クレメンテ賞』・・・今後この賞はそう呼ばれるものとなる。これは野球の内と外とを問わず、たとえ人の目にはつかなくても、深く世に尽くしているものに贈られる。」と語った。ロベルト・クレメンテは好打好守の外野手で、ホームランバッターを目指す清宮とはタイプが異なる。しかし、『世の中に貢献できるような人間』を目指すという目的は同じだ。志なかばで命が絶たれたロベルト・クレメンテだが、その意志を継ぐ野球選手のひとりとして清宮幸太郎は背番号『21』を引き継いだ。それにしても色んな意味で、北海道日本ハムファイターズは多くの球界のセオリーを砕いている。首都圏から地方へのフランチャイズ移転。左右非対称のユニフォームの採用。大谷翔平の二刀流など、数えたら切りがない。今シーズンは、日本のいやアジアのエース番号と神格化されている『18』を外野手の岡大海(おかひろみ)に与えている。そして今回、日本ハムファイターズのエースナンバー『21』番を内野手の清宮幸太郎が背負うことになった。『21』は、清宮幸太郎の志『世の中に貢献できるような人間』を代弁するような番号だ。しかし、日本ハムの歴史からみると納得できない部分もある。日本ハムの『21』はフライヤーズの昔から土橋正幸、高橋直樹、西崎幸広 等代々チームのエースのみに継承された由緒ある番号だ。巨人の『18』は、中尾碩志・藤田元司・堀内恒夫・桑田真澄等が背負った歴史がある。中日の『20』は、杉下茂・権藤博・星野仙一・小松辰夫等が付けたエースナンバーだ。日本ハムの『21』は、巨人の『18』や中日の『20』と同じ価値を持っている。これらの番号は、日本球界で数少ない『継承される番号』として認知されていた。しかし日本ハムの『21』の系譜が、継承されるべきポジションとは違う選手に引き継がれた。それは、日本ハム球団として固定観念を打ち破る意味もあったのかも知れない。枠にとどまらず大きな存在にとの願いを込めもした。そして新たな歴史をつくられた。ここ数年日本プロ野球の慣例を打ち破ってきた日本ハムは、新たに球界の慣例を打ち破って欲しい。サッカーやバスケットボール、ラグビーなどの他の団体スポーツの監督(ヘッドコーチ)は、選手と同じユニフォームを試合中に着用することは無い。唯一団体スポーツで指導者が選手と同じユニフォームを着ている競技は野球だけだ。チーム監督が選手と同じユニフォームを着ているのは野球の特異性であり、慣例である。しかし、メジャーリーグには50年以上の長きに渡りスーツ姿で指揮をとり続け、メジャー最多の3,731勝を記録したコニー・マック監督がいる。現在も野球協約には、監督の服装についての規定は無い。日本ハムは既成概念にとらわれない。ならば、栗山監督が日本ハムのユニフォームを脱ぎ捨て、スーツか羽織袴で指揮をとる日が来るのではないだろうか!?イケメンの栗山監督のことだ。グランドでのシルクハットにスーツ姿がきっと似合うと思うのだが・・・


posted by kurodaikoku
2017/11/25 00:07

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セリーグMVPを受賞した丸佳浩【鯉の鯉】

プロ野球年間表彰式『NPB AWARDS2017』が開催され、プロ野球選手にとって最高の名誉とされるMVPに、広島カープ 丸佳浩が選出された。MVP(Most Valuable Player)は直訳すれば『最も優秀な選手』であり、その年の公式戦で最も活躍した選手に与えられる栄誉である。選出は記者投票によって行われ、投票資格を持つ記者は全国の新聞社や放送各社に所属する5年以上のプロ野球担当記者となる。投票用紙に1位から3位の3選手を連記し、それぞれ5点、3点、1点与えられるポイントを合計し、最もポイントの高い選手がMVPに選出される。MVP表彰はメジャーリーグでは1931年から行われている。2017年までの87年間でナショナルリーグ・アメリカンリーグの両リーグで174選手がMVP表彰された。1931年から1990年までの60年間の優勝チームからのMVP選出は120選手中73選手。選出率は60.8%の高さだった。当然、優勝チームに最も活躍した選手が在籍している確率は高く、この数字も頷ける。この頃のMVP(最優秀選手)は『最も優勝に貢献した選手』に近かった。しかし、一転1991年から2017年までは27年間の優勝チームからの選出は、54選手中7選手と、選出率は12.96%と1990年以前の1/5程度にまでに激減してしまった。メジャーリーグは1991年を境に、『最も優秀な選手』という本来の意味の『MVP』に大きく舵を切り直している。日本プロ野球が1950年に2リーグに分裂してから、MVPを受賞した選手は2017年までに両リーグ合わせて134選手になる。優勝チームからは122名が受賞している。優勝チームからは91.0%選出されている。逆に優勝チーム以外のチームから選ばれたのは12選手のみ。9.0%にしかならない。それは、メジャーリーグから日本プロ野球に渡った『MVP』の概念『最も優勝に貢献した選手』のまま『MVP』が、今日まで踏襲されている。優勝チーム以外からMVPに選出された9.0%の選手とは、本塁打の日本記録を更新した野村(南海)、王(巨人)、バレンティン(ヤクルト)や、安打数のシーズン記録を更新したイチロー(オリックス)、三冠王を取った王(巨人)、落合(ロッテ)や、センセーショナルな数字を残した木田(日本ハム)、野茂(近鉄)、岩隈(楽天)、金子(オリックス)など、選考記者に有無を言わせなかった選手達となる。逆に、日本の91.0%の優勝チームから選ばれた選手には、投打の主要3部門が無冠の選手も多い。1986年のロッテ・落合博満は打率.367・本塁打52本・打点146点と圧倒的な数字ながら、MVPは、この年優勝した西武のチームリーダー石毛宏典が受賞した。落合は『オレ流』でマスコミ受けがあまり良く無く、投票に微妙に影響したのではと囁かれる。1999年の巨人・上原浩治は、最多勝と最優秀防御率を獲得したにも係わらず、MVPは全て上原の数字より劣る野口茂樹が優勝チーム中日から選ばれている。タイトルなどの数字以外の部分も読み説き、チーム優勝への貢献度も加えて評価する日本のMVP制度から、2017年の最多勝で、防御率1位、投手部門2冠の菅野智之(巨人)より、打点王で最多安打のロペス(DeNA) より、全試合3番センターで先発し、チームリーダーとして若手を引っ張り、広島カープを優勝に導いた最多安打(ロペスと同数)の丸佳浩なのである。人が人を評価し採点して投票する。それは数字に現れない部分も含めて投票される。優勝が最終目標のペナントレースにとって、優勝より価値のある活躍はないのかも知れない。そしてMVPを受賞した丸佳浩のMVP受賞の祝いの宴が開かれる。多くの関係者に祝福される。その会場のテーブルには豪華な料理が並べられる。祝いの席の料理の主役といえば、やはり御頭付きの『鯛』だ。祝い鯛として黄色や青色などの食材を脇役として、料理の中心に赤色の鯛が鎮座する。その鯛の身を食べ進め、やがてカマの辺りに箸が移動していく。鯛のカマの胸びれあたりの身をほぐしながら箸は進む。そこは鯛の胸びれを支えたり、動かしたりしている部分だ。その辺りの身を更にほぐし骨を外すと突然、少し大きめの骨が現れる。その骨全体の姿が魚っぽく見え鯛によく似ている。顔に見える部分には、神経が通っていた穴が開いており目のようにしか見えない。江戸時代には、この骨に対する書物が存在し、『鯛中鯛』の文字が綴られている。この文献には「鯛中鯛とはめでたい鯛の中でさらにめでたい形」と注釈が書かれている。真に縁起が良いとされ、現代でもお守りや縁起ものとして重宝されている。『鯛の鯛』は財布に入れておくと、お金が貯まると言われている。他の多くの魚類にも、鯛の鯛は存在している。当然、鯉にも存在する。鯉のカマの胸びれあたりの骨は『鯉の鯉』・『カープのカープ』と呼ばれることになる。2017年、MVPを受賞した丸佳浩こそ、広島カープの『鯉の鯉』だ。『鯛の鯛』を財布に入れると、お金が貯まるという伝説のとおり・・・『鯉の鯉』である丸佳浩がチームに居たからこそ、広島カープに白星が貯まっていったのに違いない・・・


posted by kurodaikoku
2017/11/21 00:06

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NPB AWARDS2017
MVP
丸佳浩
posted by pess at 19:23| Comment(0) | 日記